相馬サムライフェスについて
サムライフェスは、相馬地方に伝わる馬と武士の文化を体験できる参加型のイベントです。
相馬地方の高校生と地域に住む有志の皆さんによって2015年3月に立ち上げられました。毎年5月5日こどもの日に相馬野馬追祭の本会場『雲雀ヶ原祭場地』で行われます。これまで、2015年5月5日のプレイベントを皮切りに計5回のイベントが行われてきました。本物の甲冑展示や相馬地方に伝わる伝統芸能の披露、こども合戦、南相馬矢野目の合戦などが行われます。まるで戦国時代にタイムスリップしたかのような気分を楽しむことができます。地元の高校生と有志が中心となって創れらたこのイベントですが、本来 外部から私達ををサポートするはずの特定非営利活動法人相馬リリーフ311による『実行委員会”私物化”』が目立つようになり、脱会する高校生・地元の有志協力者が増えるようになりました。相馬リリーフ311問題については別ページで紹介しております。
ーこれまでのサムライフェス開催経歴ー
2015.5.5 サムライフェス プレイベント【学生執行委員長】
2015.11.1 第1回サムライフェスin南相馬【学生執行委員長】
2016.5.5 第2回サムライフェスin南相馬【学生執行委員長】
2017.5.5 第3回サムライフェスin南相馬【学生執行委員長】
2018.5.5 第4回相馬サムライフェス(名称変更)【学生執行委員長】
企画趣意書(サムライフェス公式HPより)
相馬サムライフェス
~高校生と紡ぎ織り成す、新たな伝統文化~
( 旧名称:サムライフェス in 南相馬)
1.震災からサムライフェスまでの経緯
2011 年の震災後、私たちの住む南相馬市は一時廃墟と化した。もちろん、本当の廃墟になったわけではない。人 も動物も暮らしていた。ただ、街の中から音が消えた。明かりが消えた。その後数年が経ち、一連の復旧・復興作業が進んだ。行政の努力の甲斐もあり、生活する上で必要な文化水準ま で街の文化は回復しつつある。そのなかで、実行委員の高校生は震災を伝えなければという使命感のもと、スタディーツアーを開催した。しか し、開催後、違和感が残った。なんとも言えない気持ちのまま反省会があった。その反省会の中で私たちはやっと その違和感の正体に気がついた。そこで、気がついたことが「もっと身近にやるべきことがあるのでは?」ということだった。その後、私たち高 校生は考えた。いろんなアイデアを出した。そこで、やっぱり「お祭りをしたい」という結論に至ったのである。そんななかで2011年から地元の子ども達のためのキャンプや留学を企画するNPO法人相馬リリーフ 311 の方々や熱い地元の大人の方々と出会い、今のサムライフェ スに至ったのである。
2.なぜサムライフェス?
まず、私たちは、「観光産業」という視点から、この街のために何かできないか考えた。そこで、一番に思いつい たのが「相馬野馬追」であった。南相馬には素晴らしい伝統文化がある。相馬野馬追を中心とした「武士・馬文化」だ。その文化は、地域に深く 根付き、長いあいだ地元の人々の日常として親しまれてきた。 しかも、その文化は強かった。東日本大震災という未曾有の災害にも耐え抜いたのだ。相馬野馬追は震災のわず か翌年には復活を果たした。
しかし、相馬野馬追が強い文化であるがゆえにその弊害もあった。
相馬野馬追祭の由来は平将門の軍事訓練と言われ、1000 年以上の歴史がある。それと同時に、相馬野馬追祭は神 事だ。本来、歴代相馬家当主が、相馬の地を守るために続けて来た神事なのだ。そこに、観光客の付け入る隙はな い。地元の人にとって、相馬野馬追は本来、守る神事であって、観光する祭りではないのだ。観光客はかろうじて 観覧する。当たり前と言ってしまえば、当たり前なことである。ただ、私たちは、それをもったいないと考えた。もっと、この素晴らしい文化を人々に身近に知ってほしい。感 じて欲しかった。そこで、いわゆる「サムライ文化」を観光客に体験・体感してもらえるお祭りをつくる。そして、その運営の中 で、地域の高校生や大人たちが有機的に繋がり、「街のことを知り・街のことを想い・街に主体的に取り組む」仕組 みづくりをするために、サムライフェスを立ち上げることにした。
サムライフェス実行委員会 高校生実行委員一同